2014年03月31日

アサーションの本質は感情的にならないこと

最近の仕事を通して、以前産業医に言われた「アサーション」を見直し始めている。記事「人間関係を作るアサーションとは」の中で、アサーションに関する基本的事項はおさえたつもりだった。しかし、これは理論ではない。実践的に仕事の中で活用していかなければならないのである。

前回の記事の中で、私はアサーションを次の3つに分け、それぞれをWin-Winの概念に当てはめて理解した。これに関してはあながち間違いではなかったと思う。

【アサーションの位置づけ】
・攻撃的表現(Win-Lose)
 ↑
・アサーティブな表現(Win-Win)
 ↓
・非主張的表現(Lose-Win)

例えば、具体的な例を挙げると、会社の終業時刻間際に上司から残業を頼まれたとしよう。しかし、その日は大事な用事があり、すぐに帰りたい。この場合、「攻撃的表現」「アサーティブな表現」「非主張的表現」の違いを明確にすると、次のようになるだろう。

【具体的な表現の使い分け】
<攻撃的表現>
できません!何でいつも自分に言うんですか!
 ↑
<アサーティブな表現>
それはお急ぎの仕事でしょうか?今日は用事があるので失礼したいのですが。
 ↓
<非主張的表現>
わかりました。(と、仕事を引き受ける。)

しかし、このアサーションの考えを知ってから仕事をしてみると、ベテランの先輩たちがアサーティブな表現を自然に使いこなしているということに気付いた。普通は、私たちシステムエンジニアは、お客様や上司に無理難題を押し付けられると、つい感情的になって反論してしまうか、押し黙って考え込んでしまうことが多い。しかし、よく出来るベテランの先輩たちを見ていると、例え怖いお客様や上司が相手であっても、すかさず、「それは実現可能な案でしょうか?」とか「リスクな大きすぎる方法は止めた方がいいのではないですか?」と言って、アサーティブな表現を使って切り抜けるのである。

ポイントは、「ビビらないこと」「感情的にならないこと」である。私たちシステムエンジニアは一応、お客様から見ればコンピュータの専門家である。お客様の中には、コンピュータに関して素人同然の人もたくさんいて、いとも簡単に、「クラウドにして下さい」とか「業務を全てコンピュータ化して下さい」と言ってくる人たちがいる。上司も同じようなもんで、非常に複雑で難解な仕事を、「今日中にやれ」とか「3日でやれ」と言ってくる。

そういう無理なことを押し付けられたり、話がこじれてケンカ腰になった時に、つい、「そんなことできるわけないでしょ!」とか「それはそっちの仕事でしょ!」と言いたくなってしまうのだが、ここが我慢のしどころなのである。緊迫した状況でデキる先輩たちが見せた行動は、非常に言いづらいことを、自分を演じて、「それは現実的に不可能だと思います。こういう案はいかがでしょうか?」とアサーティブに伝え、理解を得るということであった。

仕事をしている人は誰でもそうだが、どうしても言いにくいことや、伝えにくいことを相手に伝えなければならない場面が必ずある。そうした時に、上記のアサーションが最大の効果を発揮する。冷静に、感情的にならず、言わなければならないことを、その時だけ演じ切って言い放てばいいのである。それがアサーションの本質である。

よく考えれば、これができずに苦しんでいる社員もよく見る。私の先輩にも、いつも様々な人とケンカばかりして仕事を推し進めていた人がいたが、結局、彼はアサーションがうまくできなかったんだと思う。感情的にならずに自分の意見を相手に伝えることができなかったばかりに、自分の中でストレスを溜め、身体を壊してしまったのだ。

確かに、相手が怖い時には、アサーティブに意見を伝えることが難しい時もある。しかし、ほとんどの場合において、相手は怒らない。ビジネスの場では、怒りを露わにしたらそれで負けなのである。

アサーションを実践するには、まずは自分に自信を持ち、恐怖心をなくすことが必要だろう。

(参考) アサーション〜自己表現の方法


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2014年03月30日

力を求めることは悪いことか?

私は、神社仏閣で願掛けをすることはよくあるが、何か「物が手に入りますように」とか「素敵な人と出会えますように」と願い事をすることはほとんどない。では、社寺で神様に何を願うかというと、大抵は「自分の仕事がうまくいきますように」とか「もっと強く、賢くなれますように」とやや抽象的なことを願うだけである。

たぶん、世の中の多くの人は、神様に願掛けする時には、「志望校に合格できますように」とか「宝くじに当たりますように」などと、もっと具体的なことを願い事としてお願いするのだろう。しかし、私は、別に今のところ欲しい物はないし、今後の目標も特にないから、あまり具体的な願い事にならない。ただ、自分がもっと成長できるようにお願いするのである。

深く突き詰めると、私は「力」を求めているということがわかった。その力というのは、権力とかお金ではなく、単に「生きる力」あるいは「信念を貫き通す力」のことである。私は、自分にも他者にも負けない人間に成長できることを求めているのである。

というのも、うつ病になり、このブログで自分の考えを整理してわかったことだが、私が本当になりたい自分というのは、誰にも負けない「精神力」「知力」「体力」を備えた人間なのである。この中で、「知力」と「体力」は、強い「精神力」があれば、後からついてくるものだと私は思っている。だから、一番最初に「信念を貫き通す力」が必要なのである。誰に何を言われようともビクともしない自分、ビビらない、ブレない自分になりたい。常々そう思っている。その強い信念があれば、お金や権力も後からついてくるだろう。

具体例を挙げよう。もうかなり前になるが、前東京都知事の猪瀬直樹氏が徳洲会グループからの資金提供問題で辞任した。この医療法人徳洲会の理事長を務めるのが、医師で元衆議院議員でもある徳田虎雄氏である。数々の記事を読んだところによると、この徳田虎雄氏というのは、「生命(いのち)だけは平等だ」の理念の元、地方自治体や医師会とたびたび対立しながらも、全国各地に病院や診療所を開設するなど、強い信念を貫き通している人物のようだ。私は、彼のような強い信念を持つ、頑丈な人間に成長したいのである。

しかし一方で、彼には欠点もあるようだ。彼は徳洲会設立当初から、「生命だけは平等だ」の理念の元、連日病院に泊まり込むなど、強い信念で仕事に臨む一方、医療のためには手段を選んでいられないという考えから、赤信号を守らないなど規範意識が薄く、部下の運転手が赤信号で停止するたびに缶で頭部を殴打するなど、グループ内では暴君として恐れられていたようだ。(「赤信号を守らない」ってすごく些細なことだと思うが。)つまり、目標を掲げ、それに向かって邁進する強い信念を持つのはよいが、その目標を達成するための手段が汚い上、人間性にも乏しすぎるのである。これでは、人間として成長しているとはいえない。

ちょっと思い浮かべただけでも、強い信念を持っている著名人というのはたくさんいる。私の頭の中ですぐ思いつくのは、例えば、渡辺美樹、孫正義、松岡修造、イチロー、菅直人、故小野田寛郎などである。いずれの人物も、ビジネスやスポーツ、政治などの分野で強い信念を持って突き進んだ結果、成功を収めている。しかし私は、彼らと直接話したことはないから、彼らがどんな人物なのかは知らない。強い信念を持って成功することと、その人が人間として尊敬できるかどうかは別物なのである。

少なくとも私は、うつ病を患っている。だから、私は自分のことを人の心の痛みがわかる人間だと思っている。私は、自分自身が強く、賢い人間になりたいと思う一方で、苦しんでいる人を助けられる人間に成長したい。そのために必要な力なら、いくらでも手に入れてやる。

そのための力を求めることは、悪いことだろうか?

(Wikipedia)
徳田虎雄
徳洲会


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2014年03月29日

利き手の決まり方の謎

以前から疑問に思っていたことがある。利き手と脳に関することである。

私は右利きであるが、唯一携帯電話だけは左手で打つ。これは、私が中学生の時に初めて携帯電話を持った時、電話を使いながら筆記や食事ができるように自分で心掛けてそうしたもので、ある意味当然のことと言える。会社に入ってから、右利きの人は電話機をデスクの左側に置き、左手で電話を取って右手でメモをするように指導されたが、元から電話を左手で使う習慣のあった私にとって、特に違和感なくできることであった。

しかし、周りの同僚を見ていると、左手で電話を取ることはできるものの、自分の携帯電話やスマホは右手で使っている人が圧倒的多数である。なぜ、電話での会話は左手でできるのに、メールとなると皆、右手でしか打てなくなるのだろうか。元からメールも左手で打っていた私には非常に不思議なことであった。

しかし、それだけではない。私は、電話を取ることは簡単な動作だから右でも左でもできるのだが、メールを打つとなると、右手でできなくなってしまったのである。(1〜2か月間、右手でメールを打つように練習したこともあったが、結局、左手の方が早く打てるから戻してしまった。)箸もペンもスポーツも全て右利きの私にとって、携帯電話のメールだけが左利きになってしまったことを大変不思議に思っている。

そもそも、利き手というのはどういうふうに決まるのだろうか。少しだけ調べてみると、利き手は生まれる前から遺伝子により決まっているという説が有力である。ご存知の通り、世界には圧倒的に右利きが多く、左利きは人類全体のわずか10%しかいないとされている。しかし、0〜2歳くらいの子どもの様子を見てみると、今日は右手で積み木遊びをしていたかと思うと、明日は左手で絵を描いているといった具合で、左右どちらの手もランダムに使っている。その子どもたちの利き手がしっかり決まってくるのは、だいたい3〜4歳くらいである。利き手が決まる理由の一つは遺伝説で、もう一つは、利き手が決まる3〜4歳くらいまでに左手を使うことが多かった子が左利きになるという環境説である。

しかし、もし遺伝説であれば、私が携帯のメールを左手でしか打てなくなってしまったことが説明つかない。(まぁ、私の場合は単に左手で慣れただけだろ、と言われればそうかもしれないが。)

ともかく、左利きの人の脳には、右利きの人と違った特徴があるようである。左利きの人の脳は、次の3種類に分けることができる。

【左利きの人の脳の種類】
タイプ1.右利きの人の脳とあまり変わらない
タイプ2.左右の脳が反対になっている
タイプ3.言語能力(右利きでは左脳)や空間能力(右利きでは右脳)が左右両方にある
(上記3つの占めるパーセンテージは不明)

右利きと変わらない場合や、左右の脳が反対になっている場合は、単に利き手が違うだけともいえる。しかし、言語能力や空間能力が左右両方の脳にあるケースでは、右利きの人よりも、左右両方の脳を使う頻度が高いと言えるだろう。これは統計的にも実証されており、話をするときに主に左脳だけを使うのは、右利きの大人の場合90〜95%なのに対し、左利きでは約60%と少ない。つまり、左利きの人の残り40%の多くが、左右の脳を駆使して話をしていると考えられるのである。

ただ、これによって一概に、左利きの人はどちらの脳が優れているとか、何の能力が高いかという判断はできないようである。右脳と左脳はさまざまな役割を分担してはいるが、両方の脳が総合的に働いてこそ人間としての能力を発揮できるのであって、簡単に右脳と左脳の機能の違いを論じることはできない。

もう一つ、利き手に関して論じておかなければならないことは、「利き手の矯正」に関することである。事実として、右利きの人が人類全体の90%となっている以上、左利きの人は生活の様々な面で不利益を被ることが多い。左手では紙に文字を書きにくいし、ハサミも使いにくい。日常のあらゆる道具や機械が右利き用に作られている。では、左利きは右利きに矯正したほうが良いのだろうか。

左利きを右利きに矯正することは、その人(特に子ども)にとって非常にストレスを伴うものであり、機能的な優位性をも奪うことである。従って、結論としては、その人の心身に与える影響を考えると、無理に利き手を矯正することは良くないといえる。特に、利き手を無理に矯正すると、下記のような弊害が生じることがある。

【利き手を無理に矯正させた時に起きる弊害】
・ストレスが溜まり、心身症を発症する
・とっさの時に左右がわからなくなる
・鏡文字を書くようになる

まず、ストレスの問題だが、これは上記に説明した通りである。次に、左と右がわからなくなることについてであるが、子どもにとって、最初に右はお箸を持つ手だと教えられることである。しかし、利き手を矯正されると、自分の利き手と左右の概念の関連性がなくなるため、とっさの時に左右がわからなくなるというのである。そして、鏡文字を書くようになることについては、詳しいことはわかっていないが、これも脳の混乱によるものだといわれている。

私は今日の記事で、「左利きの人は特定の分野に関して高い能力を発揮するのか?」ということを調べようとしたのだが、長くなってしまったので、それはまたの機会としたい。

(参考)
右利きになるか左利きになるかは、生まれる前に決まっていた!!科学者らが利き手を決定する遺伝子を特定
なぜなる?どう違う?左利き・右利き
左利きの矯正は駄目
左利きには天才が多い!?10%程度しか発生しないサウスポーの謎


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