2015年01月31日

今世紀最大の発明とは?

と聞かれたら、私は間違いなく、人工内耳と答えるだろう。今世紀はまだ85年もあるというのにね。人工内耳とは、聴覚障害者の内耳の蝸牛に電極を接触させ、聴覚を補助する器具である。つまり、これを付けると耳が聞こえない人が聞こえるようになる。(厳密には人工内耳は20世紀の発明だが、医療器具として普及したのは今世紀に入ってからだ。)

私はつい最近まで、人工内耳というものを知らなかった。この発明を知った時、私は、「ついに人類の科学はここまで来たか」と思った。人工内耳が他の医療器具と比べて技術的に高度なものか知らないが、世界中の人々に影響を与え、障害者のQOLを上げたという意味では最高の発明だと思う。クラスター爆弾みたいなものを発明する人もいる一方で、世界のどこかにはこういう画期的なものを開発している人々もいるのである。

では、20世紀最大の発明は何だったんだろうか。私は別に科学史には詳しくないし、あまり調べたことはないけれど、アラブの春などに代表されるように世界中の人々に影響を与え、革命を巻き起こした発明というなら、インターネット辺りが妥当なんじゃないかと思う。インターネットは私たちの生活の全てを変えた。知りたいことがすぐ調べられるようになったし、何よりも私のしている仕事は、この時代に生まれなければできなかったものだ。

私が人工内耳の価値を実感したのは、聾者の人が人工内耳を初めて付けた時の動画を見た時である。この動画では、当時29歳の女性が初めて自分の耳で音を聞いた時の感動が記録されている。この動画を見て初めて、「そうか。人の役に立つというのはこういうことだったのか」と知った。この動画は2011年にYouTubeで公開され、現在までに再生回数は2,000万回を突破している。あなたもぜひ見てほしい。

人工内耳を発明した人は誰なのだろう。人工内耳の歴史を調べてみると、1960年代から米国やオーストラリアの大学で開発が進められていたようだ。現在は開発自体は民間の手に渡ったものの、今も米国やオーストラリアを中心に開発が進められている。

私の会社ではコンピュータの製造も行なっているが、私自身はあまりハードウェア開発の手法は知らない。おそらく、大量生産のラインはたくさんあっても、その技術的なコアの部分を設計している人々は、10人かそこらのチームで研究開発を行なっているはずである。そして、もちろん彼らは会社員としての平凡な給料しか受け取っておらず、ノーベル賞に匹敵するような功績を挙げても名前は知れない。

私はこれが凄いことだと思う。企業でものを実際に作っている人は、自分の仕事に一体どのくらいの価値があるのか知らない。でも、上に挙げたような動画を見れば、人工内耳の開発に携わっている人は、自分の仕事がいかに偉大なものであるかがわかる。そして、残念ながらそういう機会は滅多にない。

もし私がそういう画期的な研究者や技術者を支援できるなら、何でもする。例えば、ビル・ゲイツはWindowsを作って世界を変え、彼は今も慈善事業も行なっているけれど、だから何だというんだ?彼は別に、誰かを救いはしなかった。

私にもし、目や耳の見えない人を助ける画期的な方法がわかるなら、そして、それで世界を救えるなら、私は自分の命だって喜んで投げ出すと思う。

(Wikipedia)
人工内耳
発明の年表
(YouTube)
29 years old and hearing myself for the 1st time!
Joanne Milne's Implants are turned on and she hears for the first time
(参考)
人工内耳の歴史と今後の展望


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2015年01月30日

良いものは時空を超える

2010年頃、「こだまでせうか」という詩がACジャパンのCMで起用された。ACはいくつも良いCMを作っているが、私はこれが一番記憶に残っている。なぜならこの詩は、この悲しい社会の中で欠けているものを私に気付かせてくれたからだ。

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こだまでせうか
Is this an echo?

「遊ばう」つていふと「遊ばう」つていふ。
「ばか」つていふと「ばか」つていふ。
「もう遊ばない」つていふと「遊ばない」つていふ。
さうして、あとでさみしくなつて、
「ごめんね」つていふと「ごめんね」つていふ。
こだまでせうか、
いいえ、だれでも。

If I say "let's play" you say "let's play".
If I say "stupid" you say "stupid".
If I say "I don't play no more" you say "I don't play no more".
Later on, I feel lonely.
If I say "I'm sorry" you say "I'm sorry".
Is this an echo to repeat anyone's words?
No, it happens to anyone.
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おそらく、この詩は優しい言葉で話しかけることの重要さを説いたものだと思う。この詩は大正時代の詩人、金子みすゞが詠ったものだ。私はそのことを知って、「あぁ、良いものは永遠なんだな」と思った。

何が凄いって、大正時代から現代まで100年近くの月日が流れているにもかかわらず、この詩が多くの人の心に届いていることである。シンプルで、しかも非常に抽象的に詠まれているが、伝えようとしていることはとてもダイレクトだ。

時折、「この詩が理解できない」という人を見かける。詩の解釈は人それぞれだからどうこう言うつもりはないが、たぶん上の英訳としての解釈が正解だろう。私は他の解釈などは考えられない。この詩を見て理解できないという人はたぶん、「優しい言葉で話しかけることの重要性」すら理解できないんじゃないだろうか。そんな人もいることが面白いと思う。

余談だが、この詩は落ち込んでいる時に聞くと心のダメージをより大きくしてしまう可能性があるので、できれば精神的に安定している時に楽しむとよい。

(Wikipedia)
金子みすゞ
(YouTube)
ACジャパン CM こだまでしょうか
(参考)
こだまの世界 - 教育部長の講義日記
こだまでしょうか、いいえ、誰でもの意味。


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2015年01月29日

東大教授とPTAについて一言

社民党の党首などを歴任した女性政治家、土井たか子さんが2014年9月に亡くなっていたということがわかった。私は知らなかった。たぶん、当時ニュースなどではかなり報道されたのではないかと思うが、私はテレビをほとんど見ないのである。

土井たか子さんは、性差別などに反対して政治活動を行なったことなどがよく知られている。これをきっかけに今日、私も性差別について調べてみた。すると、東京大学の瀬地山角教授が書いている「日本のPTA、やっぱり変です」という記事に出くわした。これは、2014年7月頃に書かれたもののようだ。

この記事で面白かったのは主に2つ、小学校の謎の規則と、PTA教育長の発言に関してである。

1.小学校の謎の規則

瀬地山教授の子どもが通う小学校には、「シャープペンシルの使用を認めない」という規則があるそうだ。これに関して、瀬地山教授と担任の先生が議論になったという。

担任教諭「シャープペンシルは認めません。」
瀬地山教授「なぜですか?」
担任教諭「正しい字を書けるようにするためです。」
瀬地山教授「シャーペンでは正しい字が書けないという科学的な根拠があるのですか?」
担任教諭「ありません。」
瀬地山教授「根拠もないのに、なぜそういう規則を課すのですか?」
担任教諭「キャラクターものなどもありますから。」
瀬地山教授「それはなぜダメなのですか?」
担任教諭「値段が高かったりして…。」
瀬地山教授「ならば、図柄のないシャーペンならよいのではないですか?」

正直言って、笑ってしまうような議論である。担任教諭が東大教授にコテンパンにやられている。まるで弱い者いじめである。まぁ、この規則を意味もなく課された生徒たちこそ、本当の弱い物いじめだが。

実はこの規則、私が小学生だった20年近く前からあったものだ。「シャープペンシルの使用は認めない」このように指導されて、私たちは学校では鉛筆しか使えなかった。しかも、「シャーペンでは正しい字が書けないから」という根拠のない理由まで全く同じであった。当時の私は子どもだったので、「そういうものなのか」と思って何も考えずに従っていたが、高校生くらいになってから、「そういえば小学校の頃、シャープペンシルを使っちゃいけないって規則あったな、あれ何でなんだっけ?」と思い出すことがあったのをよく覚えている。小学校というのは今でも馬鹿の一つ覚えでこんなことやっているのか。

2.PTA教育長の発言

それからもう一つ面白かったのは、PTA教育長の発言についてである。これは瀬地山教授が書いた記事のメインテーマとなっており、以下のような概要である。

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女性のPTA教育長が、「(食事を)作るのはお母さんたちですから。」と発言したことに対して、瀬地山教授が「性差別的な発言。『男は仕事、女は家庭』という固定的性役割分業規範に問題がある」として文書で抗議し、きちんと全PTA構成員に訂正と反省を伝えてほしいとの要望を伝えている。
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さすがにこれはやり過ぎな感がある。だって、東大教授にここまで攻撃されたら、PTA教育長なんてたまったもんじゃないでしょう。

しかし、私はここをもう少し掘り下げてみたい。瀬地山教授が「性差別的な固定観念があることが問題」と指摘しているが、PTA教育長の「(食事を)作るのはお母さんたちですから。」という発言に関しては、私はそれほど攻撃するほど重大なものではないと思う。

そもそも、「食事を作るのは母親の役割」という固定観念があることは事実であって、それは変えようがないことだろう。それに、母親と父親のどちらが家族の食事を作るかというような些細な問題は、夫婦が互いに話し合って決めれば済むだけのことである。それが「差別的発言」と言って吊し上げるほどに重要なことなんだろうか?

別に私は性差別的発言を肯定しているわけではない。例えば、「父親が生活費を稼ぐものだ」と誰かが言ったら、私は食ってかかると思うよ。なぜなら、母親が働けないのは出産などでキャリアを中断する人が多いからで、女性の中途採用を積極的に認めないのは社会が悪い。そこには女性にはどうしようもない不可抗力が生じている。これは問題なので改善しないといけない。

しかし、考えてみてほしい。「食事を作るのは母親の役割」という固定観念があることは現代の事実であって、しかも歴史的背景からそうなっているわけである。つまり、文化みたいなものである。別にいつだって変えられるし、女性は決して食事を作ることを「強要されている」わけではないことに注意してほしい。PTA教育長は現状の事実をそのまま言っただけであって、それに何か問題があるんだっけ?と。

あまり記事を長くするのも嫌なので、ここで一応終わっておくが、義務教育が腐っているということは認める。というのも、小中学校が良くなったり悪くなったりしても、誰も困る人はいないわけだから。

(Wikipedia)
土井たか子
(参考)
日本のPTA、やっぱり変です
知っておきたかったこと


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