2015年03月31日

私にはない3つの楽しみ方

先日友人の一人に、「僕が、今の生活をもっと楽しむには何が必要だと思う?」と聞いたら、「車を買うこと。良いスーツを着ること。合コンに行くこと。」という答えが返ってきた。そもそも私が彼にそんな質問をしたのは、私自身が少し退屈していたというのもあるが、彼がとても遊んでそうに見えたからである。彼は仕事や勉強はイマイチだが、遊びに関してはとても上手だ。

で、この答えを聞いた時、私は「ふむふむ、なるほど。」と納得したのだが、自宅に帰ってから、それは私にとって非常に難しそうだということに気付いた。なぜかというと、そういう類の楽しみ方は、私が一番苦手とする分野だったからである。

例えば、一つ目の「車を買うこと」だが、過去の記事「所得格差が見えにくいわけ」でも述べた通り、私は自動車というものに対して非常に否定的な意見を持っている。私は車を持っていなくて不便な思いをしたことはない。確かに、車を持てば面白いこともあるのかもしれないが、今の状況で必要もないのにそんなことにお金を使う友人たちが信じられない。私にとって重要なのは、「自分がどういう体験をするか」であって、「何を持つか」ではないのである。

また、二つ目の「良いスーツを着ること」だが、これもまた意味のないことのように思えて仕方がなかった。私は会社でスーツを着ているが、私たちはエンジニアである。エンジニアが格好良いスーツを着て何のメリットがあるというのか。営業職なら必要なことだろうが、私たちはコンピュータに没頭している。私の知る優秀なエンジニアたちは別に良いスーツなんて着ていないし、むしろ彼らが服装なんかに興味を持つということ自体があり得ない。私のスーツの上着は袖が少しほつれているが、それは毎日長時間コンピュータのキーを叩くからで、どんなに良いスーツを着てもそれは起こるから、非常に無駄なことなのである。

余談だが、派遣社員の女性に話を聞いたところ、今まで一番働いている男性が格好良かった会社はOracle社だったそうだ。OracleはデータベースJavaを開発していることでよく知られている会社だが、彼らが身だしなみに気を遣い、女性に受けがいいような話し方をしているというのは非常に驚きである。もしかしたら、彼女がいた部署は技術部門ではなかったのかもしれないが、Oracleにそんな素敵な男性が多かったという感想は意外だった。

最後に三つ目の「合コンに行くこと」だが、これもやはり私には難しそうだ。彼に言わせれば合コンでも街コンでもいいらしいのだが、要するに女性とつながる場を持つことが必要らしい。そうすることで、着る物に気を遣い、生活も格好良くなっていくという。まぁ、言っていることはわかが、私はそういう場に突然行って気の利いたことを言うのが得意ではない。それに、別に私はイケメンではないから、行ったところで残念な思いをする可能性が高い。だからあまり乗り気になれない。

そもそも、お金を払って異性に会いに行くということに違和感を感じる。否定するつもりはないけれど、普通男女がお互いを理解するのはそれなりの時間がかかる。だから、お金を払って、表面的な会話をして、電話番号を交換していきなり関係が始まるというのはどうなの?という感じがするのである。(もちろん、どんな方法だって出会えればいいし、何よりも楽しむことが一番重要なのだが。)

そんな感じで、友人の挙げた三つの事柄を考えていた。私はその友人とはとても仲がいいが、彼とは住んでいる世界も、持っている価値観も全く違う。彼が提案した人生の楽しみ方が、私に合っているかどうかわからない。それに、もし私がこれらを実行するにしても、まずはそうするように自分を内面から変えていかなければならない。それが一番難しい。人は自分を変えるのが一番難しいのである。

(参考)
所得格差が見えにくいわけ
真の独身貴族、趣味は車・プロ野球・競馬


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2015年03月30日

ラウンドロビンとStickyセッション

少し前、私たちが運用しているシステムで、システムがダウンするというトラブルが発生した。サーバの高負荷が原因だった。そのシステムではAPサーバ2台構成で負荷分散を行なっていたのだが、ロードバランサ(LB)がうまく動作しておらず、ほぼ片系で動作しているような状況となり、負荷に耐えきれず一台ずつ落ちたのだった。

ここで面白い事実が発覚した。「LBがうまく動作していなかった」と述べたが、実はLBは仕様に従って正常に動作していた。実は、私たちの知らないところで当初の想定と異なる事象が発生していたのである。

私たちのLBは、ラウンドロビンという方式でユーザからのリクエストをAPサーバに分散させていた。このラウンドロビンでは、リクエストを受け取ると、そのリクエストを順番にAPサーバに割り振っていく。だが、このLBはStickyセッションで動作しているため、一度ユーザがどちらかのAPサーバに接続すると、そのユーザのセッションが切れるまで、同じAPサーバで処理を行ない続けるのである。(通常、ユーザがブラウザを閉じるか、Cookieを削除するまでサーバ側でセッションは保持される。)

すると、LBはAPサーバの保有しているセッション数などは考えずに適当にリクエストを割り振っていくため、時間の経過とともに長時間システムを使用しているユーザのセッションが片方のAPサーバに集中し、一方のAPサーバの負荷だけが高い状態になっていたのである。つまり、LBは負荷分散していたつもりでも、APサーバにとっては負荷分散されていなかったのだ。

ロードバランサのStickyセッション.jpg
図:それぞれのAPサーバがセッションを保持するため、ユーザの処理が片系に集中することがある。

この事実を私たちは重く受け止めたが、すぐに対応できるような暫定策を見つけることはできなかった。一番手っ取り早いのは、LBの方式をラウンドロビンではなく、負荷状況やセッション数を観察して割り振るダイナミックな方式に変えることである。しかし、私たちのアプリケーションはユーザのセッションを決まったAPサーバで保持し続けることが前提の作りになっているため、そう簡単にLBの方式を変えることはできない。

また、セッションサーバを別に立ち上げたり、APサーバ同士でセッションを共有するような仕組みをすぐに構築することも難しい。事前に調査が必要だし、予算や人員の面でも壁が大きかったのである。今回のシステムダウンは偶然が重なって片系に処理が集中して起こったわけだが、そうこうしている間にまた同じ事象が発生する可能性も十分にあり得た。

で、どうしたかというと、このシステムは、今も同じ方式で全てのサーバを稼働させている。もちろん、CPUやメモリなどのリソースを調整するという対策は行なったが、全く焼け石に水であった。

私はこのインフラを設計した人を知っているし、彼はとても優秀だったけど、この方式を採用した時に誰がこのような欠陥を指摘できたであろうか。もはや今となってはどうすることもできない。初期の設計がいかに重要であるかをプロジェクト全員が思い知った出来事であった。

(参考)
ロードバランサ - ロードバランシングの種類
ロードバランサの設定
ブラウザを閉じたらセッションデータはどうなるの?
アプリケーション・サーバのセッションの保存先の話


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2015年03月29日

私の友人がした素晴らしい仕事

先日、友人と4人で飲んでいた時に、1人がこんな話を始めた。

「友人の男女で、俺がお互いを引き合わせてあげた人たちがいるんだけど、彼ら1〜2年前に結婚したんだ!そして、最近になって彼らに子どもが生まれたんだよ。それって、凄くないかい?俺が彼らの運命を変えたんだ。俺が何もしなかったら、その子どもだって生まれてこられなかったんだよ!」

私はこの話に感動して、「それは凄い!君は生命を創り出したんだ。素晴らしい仕事をしたな!」と彼を非常に褒めたのだが、残りの2人を見ると、「ふーん、で?」という表情をしている。私は、「何でお前らそんなに無表情なんだ?何も感動しないのか?」と聞いたのだが、彼らもなぜそんなつまらない表情をしているのかうまく答えられなかった。

この場面を後日改めて思い返して、人の心っていうのはずいぶん個人差があるものだなとしみじみと感じた。確かに、「別にそれは大したことじゃない。」と言われればそうかもしれない。なぜなら、ある人が男女を紹介して、彼らが結婚し、子どもが生まれた。それ自体はよくある話である。でも、誰かが「自分が他人の運命を変えたんだ!凄いだろう。」と言っている時、それに対して驚かないのは、果たして普通の人の反応なのだろうか?

もし、その友人が男女の仲を取り持たなかったら、彼らはお互い会わず、それぞれ別々の人と結婚し、互いに異なる家庭を持っていた可能性が高い。しかし、結果的に彼らが出会い、子どもができたことは事実だし、私の友人がその仕事をしなかったら生まれてきた子どもはどこにも存在しなかっただろう。私の友人の仲立ちなく、その男女が出会っていた可能性はほぼゼロに等しい。

この確率的な奇跡に、どうして感動できない人がいるんだと私は疑問に思う。しかし、それは仕方ない。このストーリーに感動しなかった友人2人は悪い人たちじゃないし、むしろ他人の幸せを一緒に祝ってあげられる優しい人たちだ。

少なくとも私は、「運命」「出会い」「誕生」という事柄に対して美化したイメージを抱いているようだ。これは別に私がロマンチックな性格をしているというわけでなく、根底に、「この人生で何を為すかが、あなたの生まれてきた理由そのもの」というふうに考える癖があるからだと思う。どこで、何をし、誰に会うかがあなたの人生を決める。これはややスピリチュアル的な考えでもあるが、それが最も重要なのだ。

結局のところ私は、未来はパラレルワールドなのだと思っている。上にあげた男女とその子どもが、これから先幸せな人生を歩めるかどうかはわからないし、むしろ、出会わない方が幸せだったということもあるだろう。その場合、私の友人は素晴らしい仕事をしたというよりは、「何らかの原因を作った」という程度の存在に過ぎない。

私は、上で結婚した男女と直接の知り合いじゃないからわからないが、もし自分の知り合いだったら、今後彼らがどうなっていくかが非常に楽しみになると思う。その一方で、「もし自分が彼らを引き合わせなかったら…」という空想にふけるのも、非常に面白いことだろう。


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