2015年10月27日

自動書記に対する考察

スピリチュアルな現象の一つに、「自動書記」というものがある。霊能力者チャネラーと呼ばれる人々が、無意識的にペンを動かして書くというものである。これは歴史的には比較的古くからあるものだが、近年ではパソコンでタイピングする自動書記もあるらしい。

例えば、ニール・ドナルド・ウォルシュ「神との対話」や、ヘレン・シャックマン「奇跡のコース」(ACIM)などは自動書記で書かれたものとされている。自動書記で神や高次元の存在につながると、人間の知識だけでは書けない素晴らしい知識を創出することができるというわけである。

私が見る限り、自動書記というのは、科学的に解明できない最も怪しげな能力の一つである。ただ、精神世界のブームが浸透してきた近年では、自動書記に対する理解もやや変化しているように思える。例えば、精神世界に関する理解が全くなかった20〜30年前までは、自動書記で高次の意識につながれば、人類の偉大な問いに対する回答をも得ることができるというのが多くの人の理解であった。しかし、最近では、文章を書くのに集中することで、自分の意識が研ぎ澄まされ、普段はひらめかないようなインスピレーションが得られるのが自動書記と理解されているのではないだろうか。

ここでは自動書記を、「自分を客観的に見る意識」として考えてみよう。自分が悩んでいることに対して、会話文で答えが返ってくるかのように文章を書いてみる。

「どうして私の人生はこんなにうまくいかないんでしょうか?」
「九条君、君の人生の一体何がうまくいっていないというのかね?」
「仕事は大変だし、給料もすごく少ないんです。これでは破産してしまいます。」
「君は今まで一度も破産したことなどないではないか。」
「それはそうですが、毎日とても不安なんです。」
「不安は怒りにつながる。あるがままに意識を集中しなさい。」

こんな感じである。やってみると、自動書記につながっていなくてもけっこうまともな会話が書けるものである。(神との対話のパクリっぽいところはある。)これを自分でやってみるとわかるが、つまり、別に自動書記は、“会話文で意識が下りてくる”というものではないらしい。

私はけっこう他人のスピ系のブログを読むが、時々書いてあるのは、意識が高次元の存在につながると、「書くつもりでなかったことが急に出てくる」「書く前にイメージが頭に浮かぶ」「書いていいことか悪いことかがすぐわかる」というようなものである。これなら便利だし、私にも時々ある。しかし、これらは自動書記と呼ぶにはやや貧弱だと思う。

大体、こういったものを自動書記と呼んでしまうのなら、私はいつも自動書記でブログを書いていると言える。すなわち、私の場合は非常に集中すると、アイディアが次々と生まれ、文章にキレが出てくるが、これは誰にでもあることだと思う。また、私が意識を研ぎ澄ませた状態でPCに向かっていると、普段考えもしないインスピレーションが生まれることはあるが、自分が全く知らない知識が何者かによって授けられることはない。要するに、自動書記は脳内の家庭教師ではないのである。(知らないことは教えてくれないということ。)

基本的に、ここ最近のスピリチュアルな考え方では、守護霊などの高次元の存在からのメッセージは、自分の人格が向上しないと受け取れないというのが主流だ。そういう意味では自動書記も決して例外ではなく、人のためになろうという強い意志や、感謝の気持ちがなければ、自動書記という形では現れてこないのかもしれない。

だったら、私の場合は自動書記ではなく、もっと現実的に良い文章を書くスキルを身につける努力をすべきだろう。

(Wikipedia)
オートマティスム
神との対話
ACIM


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2015年10月21日

夢を思い出す感覚

私にとって今一番の希望は何だろうか?と考えた時、いろいろあるが、現実的な欲望よりも、未知なるものを知りたいという希望が一番大きいように思う。たぶん、私にとってそれは「死」であり、「生」であり、「宇宙」であるのだが、そこの部分はどんなに勉強してもわからないし、どんなに考えても理解できないような気がする。つまり、生まれる前と、死ぬ前と、眠っている間に私たちが何をしているか/していたかは、謎のベールに包まれているのである。

私は、時々朝起きてすぐに、目を閉じてその日どんな夢を見ていたか思い出そうとすることがある。夢というのはすぐ忘れてしまうものだが、とても面白くて、すぐにそうして心を集中すると、何を感じていたか思い出せることがある。例えば、朝起きてなぜだか知らないが切ない気持ちになった時、目をつむって少し考えてみると、確かに夢の中で悲しい出来事があったような気がする。そういうのが、不思議で面白いのである。

私が夢に関してとても興味深いと思っている考えの一つは、睡眠中に精神は霊界に訪れているというものである。これまでも私は、精神世界に傾倒している人々の間でこうした考えがあることを知っていたが、これらは特に役に立たない考えだと思っていた。しかし、夢の中で突然現れる人々や、夢から伝えられるインスピレーションを考えると、もう少し前向きに検討した方が良さそうである。

たぶん、眠りにつく時は誰でも、その日にあったこととか、翌日しなければならないことをぼんやりと考えながらゆっくりと眠りに吸い込まれていくと思う。その時、どこかで体験したシーンが映像として浮かんでくることもあるだろう。そして、より深い夢に近づくにつれ、その映像がより鮮明な声や映像になって映し出されるようになる。これが、私にとっての夢の始まりである。

私は、特に眠り始め、夢の中で声が聞こえた時、その声の主を探るかのように、「誰ですか?」と問いかけるようにしている。大抵答えはなく、徐々に意識が薄れて声の主を探れなくなってくるのだが、そこに誰かがいるのは確かである。たぶん、それが私にとって大切な誰か、夢の謎を解くカギとなる人なのだと思う。いつも、もし私にもっと強い霊感があったら、夢の中の声の主や、登場人物たちとはっきりと交信できるかもしれないと感じている。

私がなぜこんなことを言っているか説明しよう。エベン アレグザンダーの著書「プルーフ・オブ・ヘブン」に書いてあったが、死後の世界では、疑問に思ったことは神に問うだけで、瞬時に答えが得られるらしい。それはつまり、私がこの世界で感じている悩みや悲しみ、取り組んでいる課題の答えは全てあちらの世界にあるということを意味する。もし、私たちが本当に睡眠中に精神は霊界に訪れているのであれば、それは向こうの世界からあらゆる問いへの答えを引き出すチャンスである。私には、そのように思えてならないのである。

化学者のアウグスト・ケクレは、1854年にロンドン滞在中に馬車の中で、大きな原子が小さな原子を引き連れて飛び回り、大きな原子同士がそのまま連なっていく夢を見て、炭素が互いに結合して鎖状化合物を作ることを思いついたという。また、彼は1861年にベルギーのヘントで教科書を執筆していた際に、ストーブの前でうたた寝をしたときに再び連なった原子が蛇のようにうねっており、さらに1匹の蛇が自身の尻尾に噛み付きながら回っている夢を見て、ベンゼンの環状構造を思いついたという。この夢の話については、一部疑わしいという説もあるが、興味深い話ではある。

いずれにせよ、夢というのは非常に神秘的であることに間違いない。夢を思い出す感覚が、覚醒時の感情とやや異なって感じられるのは事実だし、やはり睡眠中に私たちは無意識な状態で何かをしていると考えるのが妥当である。他の人がこんな私の考えを聞いたらバカにされるかもしれないが、夢に対する興味は尽きない。

(Wikipedia)
アウグスト・ケクレ
(参考)
夢の中で会いましょう
睡眠中は何をしているのか
奇跡体験!アンビリバボー|プルーフ・オブ・ヘブン
霊的エネルギーを感じやすいのは、目覚める直前と眠りに入った直後。
夢の中の感情


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2015年09月12日

パソコンに強い神様

私は、神社仏閣で御朱印を集めるのが趣味の一つなのだが、会社の同僚でも古い寺社が好きな人がいる。彼がある時こんなことを言っていた。「あぁ、どこかにパソコンに強い神様っていないかな…。」

彼はここのところずっと不幸な出来事に見舞われているのである。不幸といっても大したことではなくて、会社で使っていたパソコンが壊れるとか、一番忙しい時に別の仕事に抜擢されるとかそういうことなのだが、とにかく彼は最近運が良くないと感じている。そして、それをお祓いによって神様に開運アップを図ってもらいたいと考えているのである。

と、それはどうでもいいのだが、考えてみれば不思議である。タイトルにもあるが、日本には「パソコンに強い神様」というものが存在しない。これはなぜなのだろうか。それだけではない。「世界平和の神様」とか「人種差別の神様」とかがどこかにいてもいいと思うのだが、そういう神様はいないようだ。いるのは、「学業の神様」「健康の神様」「金運の神様」など、個人的な願いを叶えてくれる神様ばかりである。これは実に不思議である。

例えば、仮に「パソコンの神様」を祀る神社があったとしよう。そこを参拝した時に期待できるご利益は、「パソコンが長持ちする」とか「システムが安定稼働する」ということだとする。これらは“神様”という言葉とは明らかに違和感があるが、まぁ個人的には嬉しいご利益である。そういう神様がいても悪くないと思う。

あるいは、日本には「世界平和の神様」とか「人種差別の神様」がいない。私は、こうした願いを神様に頼む人はたくさんいると思うし、グローバルに仕事をしている人は、そういう変わり種の神様を好むはずである。しかし、日本にはなぜかそういう神様がいないのが実情である。「神様」というものは基本的に目に見える形で存在しないので、何でもアリだと思う。自分の願いに当てはまる神社仏閣がないというのは、神道や仏教の世界が型にはまりすぎている感じがして、少々残念ではある。

私はこのことを少し考えて思った。私が思うに、日本の神社仏閣で祀られる神様というのは、日本国内のことで、かつ、個々の人間が持つ基本的な願望を叶えてくれるものに限定されるということである。(もちろん、パソコンなどの近代文明に関するものは論外である。)世界平和は日本という枠を超えるし、人種差別も日本にはない。また、パソコンに関する願いは、仕事や金運の神様に頼めばよい。そういう理由から、日本には「パソコンの神様」や「世界平和の神様」がいないのである。

そこで一つ困ったことになる。では、私たち日本人が、世界平和の願いを神様に頼みたい時はどうすればよいのだろうか。ここ最近では、安倍政権の憲法九条改正や、集団的自衛権の行使容認の議論に伴い、日本が戦争の道に突き進むのではないかという懸念が出てきた。こういう場合にはどうやって神様に願いを届ければいいのかという問題がある。

私は、この問題に関して良いアイディアがない。理由は、地球規模の問題を管轄する「グローバルな神様」らしき概念が見当たらないからである。強いて挙げるとすれば、キリスト教の信仰対象であるイエスや、仏教の信仰対象である仏陀「世界の神様」ということになるかもしれない。この質問は極めて愚問だが、少しは考えてみる価値があるように思える。

今日の記事は、パソコンに強い神様の話から始まっているので、あまり深くまで議論するのは良くない気がする。結局のところ、この世界では人は他人のことなど気にしないのが普通なので、世界平和の神様など必要ないかもしれない。でも考えてもみれば、世界の神様がいないのは、キリスト教イスラム教仏教など、世界中の人々の信仰が統一されていないことにも起因しているだろう。

冒頭に出てきた同僚には、商売の神様である稲荷神社や、開運アップが期待できそうな地元のパワースポットを紹介しておくことにする。

(参考)
神仏への関わりと利益主義
子どもの頃に感じていたこと
御朱印帳を購入しました


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