2015年05月07日

東大卒外資系コンサル経由会社役員

時折、東大卒元外資系コンサルタントブログを見ている。全く知らない人なのだが、見る頻度は2〜3か月に1回といったところである。そのブログはあまり更新頻度が高くないのだが、つい先日見てみると、4/3に「執行役員に就任しました。」というタイトルの記事がアップされていた。私は度肝を抜かれてしまった。

彼のブログは過去にも少しだけ触れたことがあり、賢くてリスキーな人々という言葉で紹介したことがある。実は、彼のブログを最初に読んだのは、「東大生による就職活動論」という記事で、私はその頃学生だった。しかも、私は就職活動すら始まっていなかったのである。彼の最初の印象は、「凄いなぁ」の一言である。しかし、東大生というだけでは別にそれほど驚くほどのものでもないので、「東大卒で外資系コンサルに内定したんだ。凄いね。」で、終わっていた。

その後、私と彼が年齢的に近そうだったこともあり、彼が事業会社に転職した話や、そこでの仕事に関する話を経て、彼が成長していく過程を追っていた。彼のブログの中でも読み応えがあるのは、「東大生による就職活動論」はもちろんのこと、「『コンサルの面接で『74冊読みました』と言ったら『それは何がすごいの?』と返された』件について」という記事もなかなかのものである。私も就職活動の時は、がむしゃらに就職活動をして、運良く内定を手にしたクチなので、彼の深い分析力には驚かされていた。(彼が偉そうな口ぶりで書いていることには目をつむろう。)

そんな矢先、いきなり入ってきたのが執行役員に就任したとの報告である。これにはさすがに度肝を抜かれてしまった。彼が「優秀な人」というのはよく理解していたつもりであったが、30歳で民間企業の役員まで上り詰められる人間というのは多くない。また、中途入社の人間をそのようなポストに付ける企業というのも珍しいはずだ。

やはり彼は、私のような一般的な人間とは、生まれも育ちも違ったわけである。彼を見ていると、能力の高さもさることながら、野心の大きさが私とは桁違いのように思える。仕事一筋である点については危なっかしいようにも思えるが、それが彼にとっての人生ならば、それでいいだろう。

彼は外資系コンサルティングファームで経験を積み、事業会社で実績を上げ、今後もさらに成長を遂げていくと思われる。その一方で、私はリスクを避け、大手企業のぬるま湯の中でゆっくりとした時間を過ごし、ごく普通の生活を送っていく。私は彼のように大きなリスクを取らないし、特別な人間になろうとも思っていない。だから、その程度の人生しか送れない。それはそれで構わない。

結局のところ、私にとって他者との比較によって得られること何もなく、ついつい「成功」とか「幸せ」の意味について考えてしまうのであった。

(参考)
私の会社はぬるま湯かもしれません
うまくいっている時に成長はない
執行役員に就任しました。
コンサルファームを辞めて、事業会社に転職しました
「コンサルの面接で「74冊読みました」と言ったら「それは何がすごいの?」と返された」件について
東大生による就職活動論


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2015年05月06日

仕事の責任と転職市場での価値と

IT業界で仕事をしていると、度々自分の技術のなさにがっかりすることがある。たぶん、このように感じるのは私みたいに事務的な仕事ばかりして、本当に技術のないシステムエンジニアだけでなく、バリバリ開発に携わっている凄腕のエンジニアにもよくあることだと思う。私たちは、自分の頭の良さや技術力を絶えず心配する生き物なのである。

しかしその一方で、私は相対的に、プログラミングばかりしているエンジニアたちよりは責任が重く、大変な仕事をしているという実感がある。ということで今日は、「大変な仕事とは何か」ということについて考えてみたい。

私が「大変な仕事をしている」という時、しばしばそれは責任の重さと比例することを意味する。私たちIT企業のプロパー社員には、派遣技術者たちのような技術力はないけれども、お客様のクレームに晒されたり、スケジュールを納期に間に合わせなければならなかったりと、非常に大きなプレッシャーを要求される。これは私だけでなく、この業界で働くほとんどのプロパー社員が感じているはずだ。

しかし残念ながら、私たちプロパー社員には技術があまりないというのも事実だと思う。例えば、私のプロジェクトでは、開発作業に携わっている人の2/3程度が外部から派遣されてきた人間である。彼らは明らかにプロパー社員より技術力が上で、プロジェクトの開発の主力は派遣技術者が担っている。そのため、彼らに無理な要件やスケジュールを要求すると、彼らの批判を買って身動きが取れなくなることもある。つまり、プロパー社員は、お客様と派遣技術者の板挟みになることがあるのである。

さて、それでは待遇の面ではどうなるだろうか。私たちプロパー社員は、待遇の面では派遣技術者よりは良い場合が多い。というのも、例えば私の会社のプロパー社員は、100万円以上の単金が付いているが、派遣技術者の単金は60〜80万円程度である。その分、会社からピンハネされる金額も大きく、給与/賞与は少なくなる傾向があるだろう。

当然、仕事の面では派遣技術者の方が責任が軽くなり、自分の仕事だけに専念できる。派遣技術者は自分の腕が全てなので、自分の使えるプログラミング言語、精通している製品、それまでの開発経験などが推薦文に書かれることになる。私たちプロパー社員が派遣技術者を選ぶ際は、そうした推薦文を元に誰を選ぶか判断する。ただ、技術に興味のあるエンジニアにとっては、自分が次々と新しい技術を身につけられ、お客様からの批判やプレッシャーに晒されなくて済むので、この上なく幸せな環境である。

これを聞いて、もしあなたがIT業界で働くとしたら、どちらがいいだろうか。責任が重く、給料はいいけれど、技術のないプロパー社員と、責任はあまりなく、技術も身につくけれど、給料が安い派遣技術者である。当然、転職市場では派遣技術者の方が潰しが利くため、派遣技術者の方が市場価値が高いということになる。もし会社が倒産しても、派遣技術者はプロパー社員ほど職には困らない。

このどちらが良いかは人それぞれだが、仮にIT業界で働くうちにどちらかのキャリアパスを選びたくなったとしても、それは会社によって決められてしまい、自分の求める姿とマッチしないことが多い。この場合は、社内で積極的に自分のやりたい仕事をアピールしていくか、転職するなどの大胆なキャリア変更が必要になってくる。

また、プロパー社員派遣技術者の違いは、よく言われる中堅管理職一般社員の違いと似たようなものだ。中堅管理職は会社にとっては必要な存在で、給料もそこそこもらっているが、年齢が高いため、いざ転職となると困ってしまう存在である。

私は、「大変な仕事」と言う時には、一般的には、責任が重くプレッシャーのある仕事を意味すると思う。しかし、実際に大変な仕事をしている人たちによくありがちなことだが、仕事の大変さに追われてそれ以外のことを忘れてしまい、40代半ばには転職市場での価値が全くないという人も多い。

たぶん、どんなに大変な仕事をしていても、絶えず自分のキャリアを見据え、どこかに組織から離れた時の保険をかけておく必要があるんだと思う。

(参考) 下流から見たIT業界: キャリア


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2015年01月03日

就職活動に関する統一理論

このブログで私がこれまであまり扱ってこなかった話題の一つに、「就職活動」がある。私がこの話題を扱ってこなかった理由の一つは、自分が満足のいく就職活動をできたから。正直言って、私は「就職活動」の悪口を言いたくない。誰だって、自分が納得のいっているものを悪く言いたくないのである。しかし、今日は私が本当に思っていることを心から話そうと思う。

まず、私が就職活動を行なったのは2008年のリーマンショックのすぐ後であって、大変な就職氷河期であった。私は修士一年の10月頃から企業研究を始め、修士二年の1月頃からエントリーシートや面接に突入し、修士二年の4月にやっと就職が決まった。その間、受験した会社は全部で30社、全て民間企業であり、そのうち3社から内定を獲得した。内定をもらったのはメーカー系SIer、財閥系部品メーカー、独立系ソフトハウスの3社であった。今私が働いている会社は、そのうちの「メーカー系SIer」である。

それまで理系の就職は学校推薦が基本だったが、リーマンショックの後から学校推薦は信頼できないものになっていた。学校推薦は、「筆記試験をスキップできるだけの特別パス。しかも受かってしまったら内定辞退はできない」という代物になった。そもそも受かる見込みが少ないのに、学校推薦を使って何の意味があるんだ?私はあえて自由応募を選んだ。

もう社会に出て何年も経った今でも聞かれることは、「君の時代の就職って大変なの?」という質問。これは同じ会社で15歳以上も年上の同僚たちから時々聞かれる質問だが、私はいつも次のように答えている。

「えぇ大変ですよ。時期ってものがあって、最初の数か月間みんなが面接に殺到する時期は絶対に受かりません。そこで、『あぁ俺はダメだ』って嫌になって諦めちゃう人が多いんですけど、我慢して何か月も筆記試験や面接を受け続けるんです。そうすると、どこか必ず受かりますよ。」

これを聞くと、厳しい就職活動を経験したことのない人たちはとても怖気づくようだ。私の話を聞いた同僚たちは必ず、「今の時代に生まれなくてよかった」というような反応をする。でも、経験した当事者として感想を言うと、別に就職活動はそれほど過酷ではない。入社してから生き残ることの方がよほど大変である。だって、就職活動は疲れたら数週間休んだってそれほど致命的じゃないからね。

さて、就職活動の中身に関して私が思っていることを言おう。就職活動というものは、社会で働くことに極めて近い経験だと思う。例えば、自分で情報を収集し、横や縦のつながりを作り、一人で会社に行って試験や面接に臨まなければならない。ストレスは多いし、答えなんてなく、自分の人生と真剣に向き合わないといけない。

たぶん私にとって幸運だったのは、最初から、「就職活動は辛いだろう」という覚悟ができていたこと。それから、「自分はこれがやりたい」という方向性が明らかであったことである。たぶん、学生のうちに私みたいに考えが固まっていた人はそれほど多くないと思う。とにかく、私にとって目標が明確だったのは幸運だった。私には、就職活動で何をすればいいかが明らかだったのである。

私は過去に一度だけ、女友達を就職活動のことで泣かせてしまったことがある。その子は私より何歳か年下だが、ろくに就職活動もせず小さな会社に就職を決め、一年も経たずに人間関係で躓いて辞めてしまった。聞いたところによると、嫌なお局的な女性社員がいて、事あるごとに嫌がらせを受けたんだとか。私は彼女が会社を退職した後、その子に言ってしまった。

「だから言ったでしょ。何でもっと大きな会社に就職しなかったの?就職活動を楽しようとするからそういうことになるんだよ。君みたいな向上心がない人はダメだ。君に次の会社なんてあるの?」

私はこれを言った直後、「しまった」と思ったが、でも言ったことは間違ってはいなかった。基本的に、就職活動というものは優秀でない学生をふるい落そうとする試みだ。そのために学生は苦労するようになっている。優秀でない学生が良い会社に就職できないのは当然である。良い会社に就職したいのなら、就職活動に大きなエネルギーを割くしかない。時折、「今の就職活動はWebを使うようになったから大変だ」なんてことを言う人がいるけれど、それは時代のほんの一面に過ぎない。「良い学生を採用したい」という思いはどの時代だって共通だ。

でも、昔に比べて就職活動が大変になったのは事実だと思う。私は知らないが、昔は何かの偶然とかコネみたいなもので学生が就職するケースが多かったらしい。つまり、自分の憧れる会社に入社できなくても、セーフティネットはどこかに存在していたわけである。それが、今は就職活動は全員が横一列に並んで、「よーいドン」でやるようになったから、採用する側は誰が優秀で、誰が馬鹿かがわかりやすくなった。そのおかげで、優秀でない学生はもっと就職しづらくなってしまった。

じゃあ、就職活動が昔に比べて大変になったのが事実だとしよう。今の時代に生きる学生たちはどうすればいいんだろうか。残念ながらここに答えはない。変わってしまった社会はそう簡単に変えられないのだ。

例えば、「ゆとり教育」というものを知っているだろうか。ゆとり教育は、2000〜2010年頃まで行なわれていた学習指導要領の削減のことである。この背景は、受験戦争の過熱を抑えるべく、「もっとゆとりある学校を目指そう」としたことにある。しかし、大学への進学率が高まり、受験戦争が固定化してしまった社会にとっては、ただ単に小中学校の授業数を減らしただけでは効果がないのだ。親の世代たちは学歴の重要性を知ってしまったから、もう受験戦争を止めることはできなかった。

就職活動もそれと同じことだ。一昔前に比べて、新卒の就職先がいかに重要かを社会が認知するようになってから、就職戦争が過熱するようになった。就職活動はある意味、受験戦争の副産物だ。90年代の受験戦争と、現代の就職戦争は密接に関連している。

私が思うに、現代の受験戦争と就職戦争を収束に向かわせるには、社会そのものをひっくり返さなければならない。具体的には、「偏差値の高い大学に行っても全く無意味な社会」とか、「良い会社に入っても何の利益もない社会」を作らないといけない。そういう極端に人々の考えを180度変える方向に舵を切らない限り、受験戦争も就職活動もなくならないだろう。

今の学生にとって就職活動が過酷なことは事実だし、それは彼らにとってとてもストレスフルなことだろうけれど、今の時代がこうなってしまったのは仕方ないことなのだ。「就職活動」という機会を通じて、学生は自分自身と真剣に向き合わなければならなくなった。

あと、もう一つ付け加えておかなければならないことがある。それは、就職活動という概念が固定化したことによって、私はむしろ就職の機会が平等に与えられるようになったと思う、ということだ。私は大きな会社で働いているけれど、私の会社は別に高学歴な学生ばかり採用しているわけではない。確かに相対的に高学歴の学生が多くなったことは事実だが、高卒だって専門卒だって、その人が面白い人物であれば採用している。

「就職活動」は、誰にでも平等だ。そして、社会で生きていくという経験にとても近いものだから、抜け穴だってたくさんある。さぁ学生たちよ、恐れるな。私たちはあなたを待っている。就職活動は、あなたという人間をありのままに見せるチャンスなのだ。

(参考) 大学受験や就職活動の思い出話


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