2015年10月09日

人格の荒廃と知的障害

精神医学のことを調べていると、時々、「人格が荒廃している」という表現が見られることがある。先日、kyupin先生「経過中、突如、うつになるのは脳が生きている証拠」という記事を読んでいて、抑うつにならないのは脳が死んでいる人だということが理解できた。しかし、その直後に、それはどういう人のことを指すのだろうかと疑問に思ったのも事実である。おそらく、kyupin先生は、脳が死んでいる人のことを、“荒廃している人”だと言っているのだろう。しかし、私には「荒廃」という言葉の意味があまり具体的にイメージできなかったのである。

普通の国語辞典を調べてみても、「荒廃」は「荒れ果てること」としか意味が書かれていない。しばらくいろいろと調べてみて、唯一、「人格の荒廃とは、最低限のこと(身の回りのことをする、他人と会話する)などもせず、人間らしい豊かな感情もなくなったような状態である」との記述を見つけることができた。どうやら、「荒廃」とは、ある人が人間から動物に退化したような状態を指すらしい。

kyupin先生は、人格の荒廃を、病棟内で他の患者さんの衣類に自分の名前をマジックで書きまくるとか、保護室に入れているとトイレの汚い水で顔を洗ったり、飲んだりするなどといった行動を具体例に挙げて説明しているが、同時にこのような状態を「破綻している」とか「崩れている」とも表現している。ここまで言われれば、私たちは何とかそのような人の状態がイメージできそうである。

確か、Wikipedia「知的障害」のページには、その人のIQによってどの程度の知的障害があるかが区分けして明記されていた。これについては過去の記事「知能指数(IQ)と記憶力・健忘症」でも取り上げたことがある。

【知的障害とIQの範囲】
<ボーダー(境界域):70〜85>
知的障害者とは認定されない。
<軽度:50〜69>
食事や衣服の着脱をする、排せつなどの日常的な動作には支障がない。しかし、言語の発達がゆっくりで、18歳以上でも小学校5〜6年生の学力にとどまることが多い。
<中度:35〜49>
言語の発達や運動能力の遅れが目立つ。 身の回りの始末は部分的にできるが、全てをこなすことは困難である。日常会話や集団行動は、成長とともにある程度は可能になり、仕事では単純作業であればこなすことができる。
<重度:20〜34>
言語・運動機能の発達が遅く、学習面ではひらがなの読み書き程度に留まる。日常会話は年齢と共に可能になるが、簡単な受け答えしかできない。
<最重度:19以下>
言葉が発達することはなく、叫び声を出す程度にとどまることがほとんどである。身の回りの処理は全くできず、寝たきりの場合も多いほか、親を区別して認識することすら難しい。

私は、知的障害者に感情がないとは言わないが、「荒廃している」と言う場合、おそらく外見的にはかなり動物に近い状態ではないかと推測する。事実、統合失調症が疑われる患者に心理検査を実施した場合、かなり酷い結果が出ることもまれではないらしい。私は一般人なので、そのような常軌を逸した人々に会ったことはないが、もし会ったとしたら、あまりの異常さにカルチャーショックを起こしてしまうかもしれない。

今日は文章の上手い締め方が思いつかないので、まとめの代わりに、kyupin先生が記事「統合失調症の荒廃と器質性荒廃の相違点」の中で書いていた文章を引用しておく。

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器質性荒廃の人は頭髪の量が多く、しかも伸びも早い(子供の頃から、散髪屋や美容院で指摘されていたりする)。ひょっとしたら、薬物の忍容性の低さと関係があり、未知の内因性発毛因子に敏感なこともあるのかもしれない。
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このように書く点からも、kyupin先生が人間の脳そのものに興味を持ち、人体の神秘を解き明かそうとしていることわかる。もし私だったらきっと、「この人毛深いな」くらいにしか思わないだろう。

(Wikipedia)
知的障害
(参考)
経過中、突如、うつになるのは脳が生きている証拠
統合失調症の荒廃と器質性荒廃の相違点
器質性荒廃


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2015年04月03日

燃え尽き症候群の3つのパターン

メンタルヘルスの一つに「燃え尽き症候群」というものがあるが、私はこれは自分にはあまり関係ない精神疾患だと思っていた。というのも、私の職場には過度なストレスでうつ状態に陥る人がけっこういるが、彼らが決して燃え尽き症候群だとは思っていなかったからである

しかし、先日プライベートの知り合いで、「若い頃に燃え尽き症候群になった」と言っていた人がおり、少し見方が変わった。彼は、20年ほど前に旅行会社に勤めており、ほとんど休みのないハードな生活を何年も続けていたという。彼は次のように語った。

「朝から終電まで毎日オフィスで仕事をしていました。別に会社からは売上を上げろということは言われなかったのですが、『売上を上げなければならない』という無言のプレッシャーがありました。土日も休みが全くなくて、本当の連休は正月だけでした。それが楽しくもあったのですが、時折深夜に企画書を作りながら虚しさを感じることもありました。」

結果として、彼は30代前半に急に朝起きられなくなり、会社に行けなくなってしまったそうだ。最初は休職扱いで休んでいたが、回復するうちに徐々に「もう働きたくない」という気持ちが強くなったので、会社に無理を言って解雇してもらい、その後一年間も失業保険と貯蓄で生活していたそうである。彼が一年間も何もしていない間、特に抑うつ不安といった精神症状はなかったそうだ。「ただ、働きたくない」という気持ちが強かったゆえに、頑なに再就職を拒んだのだという。

この話を聞いて、もしかしたらうつ病で会社を辞めてしまった私の同僚たちも、燃え尽き症候群だったのかもしれないと思った。休みが全くなく、頑張っても頑張っても報われない生活。仕事や人間のストレスには耐えられても、自分のしていることに意味を見出さなければ続けていくことは難しいだろう。日々の生活に虚しさや焦燥感を感じるようになれば、そこから絶望にまで達する時間はそう長くない。

つまり、ストレスによる適応障害燃え尽き症候群の間には、明確な境界などないかもしれないということである。ストレスは燃え尽き症候群の一つの要因となり得るが、それが直接的な原因ではない。燃え尽き症候群の直接的な原因は、自分自身の悩みや葛藤なのである。

ところで、調べたところ燃え尽き症候群には大きく次の3つのパターンがあるそうだ。

【燃え尽き症候群のパターン】(参考)
1. 熱狂型(15%)
仕事で成功することを強く望む「野心を持つ人」に多く、極度の疲労状態に陥るまで働くことで発症する。

2. 挑戦不足型(9%)
満足のいく成果を上げるのに失敗し、次第に仕事に関心を失ってしまうことで発症する。

3.疲れ果て型(21%)
達成したい目標があるにもかかわらず、仕事の難しさを感じるとその困難さから目を背ける傾向があり、次第に疲れ果てていくことにより発症する。

これらのパーセンテージが合計で100%にならないのは、これらに当てはまらない他の特徴を持つ人がいるからだそうだ。これらを見ると、冒頭にある私の知り合いのケースは1か3に該当するように思われるが、彼が熱狂的に仕事をしていたかどうかはわからない。ただ、燃え尽き症候群を発症した当時、彼が極度の疲労状態にあったことは確かだし、最終的には働きたくないほどに疲れ果てていたことも事実である。

私も少し前、ある一週間の仕事がとてもハードで、「このままこんなペースで仕事を続けるのは嫌だな」と思ったことがある。もちろん、その時は一週間だけで山を越えたのだが、実際にもう少し長く続いていたらIT業界によくあるデスマーチと化していただろう。

日本では多くの職業において、「働くことは美徳」とされている。だが、どんなに献身的に働いていても、たまにはガス抜きをしないとガス欠してしまう。それが人間というものだ。

(Wikipedia)
燃え尽き症候群
(参考)
防火扉はいずれ燃え尽き症候群に
「燃え尽き症候群」には少なくとも3つのタイプがある


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2015年01月07日

恐怖は慣れることができます

数日前、他人のブログ「クレームやトラブルが怖い」という趣旨の内容を見かけた。どうも、ハローワークで失業給付を受けられずに職員と揉めている人を見かけたようである。また、その記事のコメント欄には、「自分は関係ないのに、怒られているのを聞いたりすると、自分が怒られているように感じてしまう」というような書き込みもあった。

この気持ちは私にもよくわかる。私がうつ病を発症する前、会社で怒られている人や大きな声で議論している人たちを見て、とても怖いと思ったのをよく覚えている。おそらく、その時の私は既に精神に異常をきたし始めていたのだろう。そういう出来事を見た後には恐怖だけが残り、ほとんど仕事にならなかった。しかも、そういう出来事が毎日のようにあり、当時はかなり頻繁にそういう出来事の記憶がフラッシュバックした。

私にとっては、この恐怖の感覚にはベンゾジアゼピンが功を奏した。恐怖というのは不安と隣り合わせなので、抗不安薬を服用することで感覚が和らいだのである。過去には、「不安ゼロの生活」という記事も掲載している。

今の私はもう少し強くなったので、そういう場面に遭遇しても恐怖は感じなくなった。今は自分が怒られたり、責任を追及されたりした時に、「嫌だな」とは思うが、別に「怖い」という感覚はない。今はどちらかというと、トラブルの時には怒りの方が先行する。理不尽な言い方をされれば反撃に出ることもある。(ほとんどやらないけれど。)

冒頭のブログ主はこの出来事で感じた自分を振り返って、「心が弱いなぁ」と書いているが、それは事実だと思う。会社員として生活をしていると、嫌でもそういう攻撃的な出来事に遭遇するので、たぶんこのような人たちが環境の厳しい組織で生きていくのは難しい。これは私の会社だけではない。私の会社は少なくとも技術系でおとなしい人が多い。だから、営業色の強い体育会系の職場はもっと厳しいのではないだろうか。

ただ、恐怖は克服することができる。私にできたのだから、誰にでもできるはずだ。もし精神が不安定な状態にあるのであれば、まずは安定した状態に戻すことが必要不可欠だが、その上で繰り返し苦手な場面に直面することで、徐々に慣れていくだろう。恐怖は慣れることができる。そして、いずれ怖くなくなる。

「心を強くする」ということがいつでも良いわけではない。最近の私は、何か些細なことが気になった時、「これおかしいんじゃないの?」とすぐに怒りっぽくなった。これは会社生活による明らかな弊害である。穏やかでない生活を送っていると、性格も穏やかでなくなってくるようだ。怒りの感情を抱くことは健康にもよろしくない。

人は2つの人格を持つことはできないので、オンとオフのバランスを保つことが大切なんだと思う。

(参考)
不安ゼロの生活
心が弱いなぁ


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