2015年10月21日

夢を思い出す感覚

私にとって今一番の希望は何だろうか?と考えた時、いろいろあるが、現実的な欲望よりも、未知なるものを知りたいという希望が一番大きいように思う。たぶん、私にとってそれは「死」であり、「生」であり、「宇宙」であるのだが、そこの部分はどんなに勉強してもわからないし、どんなに考えても理解できないような気がする。つまり、生まれる前と、死ぬ前と、眠っている間に私たちが何をしているか/していたかは、謎のベールに包まれているのである。

私は、時々朝起きてすぐに、目を閉じてその日どんな夢を見ていたか思い出そうとすることがある。夢というのはすぐ忘れてしまうものだが、とても面白くて、すぐにそうして心を集中すると、何を感じていたか思い出せることがある。例えば、朝起きてなぜだか知らないが切ない気持ちになった時、目をつむって少し考えてみると、確かに夢の中で悲しい出来事があったような気がする。そういうのが、不思議で面白いのである。

私が夢に関してとても興味深いと思っている考えの一つは、睡眠中に精神は霊界に訪れているというものである。これまでも私は、精神世界に傾倒している人々の間でこうした考えがあることを知っていたが、これらは特に役に立たない考えだと思っていた。しかし、夢の中で突然現れる人々や、夢から伝えられるインスピレーションを考えると、もう少し前向きに検討した方が良さそうである。

たぶん、眠りにつく時は誰でも、その日にあったこととか、翌日しなければならないことをぼんやりと考えながらゆっくりと眠りに吸い込まれていくと思う。その時、どこかで体験したシーンが映像として浮かんでくることもあるだろう。そして、より深い夢に近づくにつれ、その映像がより鮮明な声や映像になって映し出されるようになる。これが、私にとっての夢の始まりである。

私は、特に眠り始め、夢の中で声が聞こえた時、その声の主を探るかのように、「誰ですか?」と問いかけるようにしている。大抵答えはなく、徐々に意識が薄れて声の主を探れなくなってくるのだが、そこに誰かがいるのは確かである。たぶん、それが私にとって大切な誰か、夢の謎を解くカギとなる人なのだと思う。いつも、もし私にもっと強い霊感があったら、夢の中の声の主や、登場人物たちとはっきりと交信できるかもしれないと感じている。

私がなぜこんなことを言っているか説明しよう。エベン アレグザンダーの著書「プルーフ・オブ・ヘブン」に書いてあったが、死後の世界では、疑問に思ったことは神に問うだけで、瞬時に答えが得られるらしい。それはつまり、私がこの世界で感じている悩みや悲しみ、取り組んでいる課題の答えは全てあちらの世界にあるということを意味する。もし、私たちが本当に睡眠中に精神は霊界に訪れているのであれば、それは向こうの世界からあらゆる問いへの答えを引き出すチャンスである。私には、そのように思えてならないのである。

化学者のアウグスト・ケクレは、1854年にロンドン滞在中に馬車の中で、大きな原子が小さな原子を引き連れて飛び回り、大きな原子同士がそのまま連なっていく夢を見て、炭素が互いに結合して鎖状化合物を作ることを思いついたという。また、彼は1861年にベルギーのヘントで教科書を執筆していた際に、ストーブの前でうたた寝をしたときに再び連なった原子が蛇のようにうねっており、さらに1匹の蛇が自身の尻尾に噛み付きながら回っている夢を見て、ベンゼンの環状構造を思いついたという。この夢の話については、一部疑わしいという説もあるが、興味深い話ではある。

いずれにせよ、夢というのは非常に神秘的であることに間違いない。夢を思い出す感覚が、覚醒時の感情とやや異なって感じられるのは事実だし、やはり睡眠中に私たちは無意識な状態で何かをしていると考えるのが妥当である。他の人がこんな私の考えを聞いたらバカにされるかもしれないが、夢に対する興味は尽きない。

(Wikipedia)
アウグスト・ケクレ
(参考)
夢の中で会いましょう
睡眠中は何をしているのか
奇跡体験!アンビリバボー|プルーフ・オブ・ヘブン
霊的エネルギーを感じやすいのは、目覚める直前と眠りに入った直後。
夢の中の感情


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2015年10月18日

この記事が良いと言われた理由

もう一年以上も前になるが、「診察券のデザインが素晴らしい」という記事を書いたところ、文章が非常にきれいだというメッセージを受け取ったことがある。その時は、なぜこんな記事が良いのかさっぱりわからなかったが、久しぶりに自分で読んでみて思うことがあったので書いてみたい。

<この記事の良い点1>着眼点が良い

まず、この記事は着眼点が良いと思った。「着眼点」というのは目の付け所という意味だが、病院の診察券をテーマにした記事を書く人は少ないだろう。しかも、この記事は診察券の“実用性”ではなく、“美”について論じている。おそらく、私が病院の診察券なんてものに記事を書いたのは、その時、精神科に関するあらゆる点に目を光らせ、評価しようという意識があったからである。もし、これが普通の内科や外科だったら、別に私は診察券などに興味を持たなかったかもしれない。だから、「人の気づかないところに気づいた」という意味ではこの記事はとても興味深いものになっている。

<この記事の良い点2>異なる内容を上手に織り込んである

これは書いた直後には自分で読んでも気づかなかったことだが、この記事は診察券のデザインだけでなく、精神科に対する偏見、そのクリニックのWebサイトの美しさにまで及んで話を展開している。また、途中でシステムエンジニアの人柄について考察するなど、読者を飽きさせない工夫がなされている。(この記事を書いた時に、どの程度私がストーリーの展開を意識したかはわからないが、少なくとも話のテンポが良い。)タイトルから予想できる内容だけでなく、プラスαの内容を盛り込むことで、内容の濃い記事となっている点がとても良い。

<この記事の良い点3>結びの言葉が上手い

最後に、この記事は結びの言葉がとても上手い。結びの言葉というのは、「精神科クリニックの人気を決める別の要素があるのかもしれない。」と、結んでいる部分である。この記事をちゃんと読むと、最後のパラグラフだけが浮いているようにも見える。というのは、それまで病院の診察券や内装、Webサイトについて書いていたのに、突然最後のパラグラフだけ、話題を「クリニックの人気を決める要素」に変えているのである。実にわざとらしい。

何かで読んだが、文章を書く上で始めと終わりの部分は非常に重要で、そこでどう上手く書き始めるか/まとめるかが全体の印象を決めるという。だから、極力自然な感じで、違和感を出さないようにうまく文章の最後を結ぶのは、文章を書く上で非常に大切なことかと思われる。それが、おそらく無意識のうちにだろうが、この記事では上手くできている。だから、この記事はすっきりとまとまった印象を出しているのである。

さて、今日の記事は何だか自画自賛の記事になってしまった。まぁ、いいでしょう。どうせ私が何を書いても誰も文句は言わないはずなので。

(参考) 診察券のデザインが素晴らしい


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2015年10月15日

内因性でも心因性でもなく

特に辛いことがない時でも、憂うつな気分になることがある。これは一体なぜなのだろうか。例えば、今日は連休明けの月曜日だった。そして、今日私は会社に行く前、なぜだかわからないがとても重い気分になった。仕事が楽しくて仕方がないという人は少ないとして、これは誰にでもあることなのだろうか?

私のここ数か月の生活は、これまでにないほどうまくいっている。仕事も順調に進み、人間関係にも恵まれ、家族は健康である。はっきり言って、身の回りのことがうまくいきすぎて怖いくらいである。人生はいつ何が起こるかわからないという不安は常にあるが、しばらくは今の生活を続けていけるのではないかと思っている。

前は、朝仕事に行くのが嫌だった時、その原因がはっきりしていた。その頃の私は、仕事で大きなストレスを抱えていた。でも、今はストレスがない。いや、自分でストレスを感じていないだけという可能性もあるが、少なくとも自分が望むだけの職場環境は手に入れている。それでも、なぜか出勤する前に憂うつな気分になるのである。それが、私には一番理解できないことだ。

何かで読んだことがあるが、人が人生で困難にぶつかった時にうつ病になるのは、人間の自然な反応なんだそうだ。たぶん、その人は「適応障害」のことを言っているのだろうと思う。本当のうつ病はそうではなくて、人生がうまくいっている時に抑うつ気分や不安といった症状が現れる。と、その人は書いていた。医学的見地から見ると、困難にぶつかった時になるうつ状態は「適応障害」で、何も原因が見当たらない時になるうつ状態は“内因性の”うつ病とされる。

外因性心因性のうつ病が、器質的や心理的な面で原因がはっきりしているのに対し、内因性のうつ病にははっきりとした原因が見つからないことが多い。「内因性」をよく調べてみると、遺伝や体質などが原因と考えられる精神疾患であるとか、個体の内的素因に基づく精神疾患であると書かれている。でも、これははっきり言って意味不明で、内因性という言葉には、「原因不明である」という意味が深く込められているようにしか見えない。

一方で、内因性と心因性はしっかりと切り分けるのが難しいという意見もある。例えば、患者本人がストレスを認識できておらず、内因性のうつ病だと思われていた時に、よく話を聞いてみると、小さなストレスの積み重ねや、何年も前の喪失体験が原因である可能性が高いことがわかったというような場合である。このようなケースもあり、本当にストレスがないのかどうか患者本人が認識できない場合に、そのうつ病が内因性なのか心因性なのか精神科医が判断できないのも仕方がないことである。

このような前提を元に考えてみると、よくわからないが、たぶん私は内因性のうつ病患者ではないだろう。おそらくだが、私がたまに感じる抑うつ気分は、はっきりとしたストレスが原因ではなく、また、遺伝や体質が原因でもない。私が感じている抑うつ気分として一番原因の可能性が高いのは、人間の人生そのものに対する絶望感悲しみである。これは私が自分の心に問い合わせてみて最もそう強く思い当たる。

人間の人生は長いようで短い。そして、何かしようとしても、全てが思い通りにはならない。そういうところに、私は絶望感を感じる。また、人間の心は美しいこともあるが、醜い部分も大きい。私には、それが悲しい。

(参考)
内因性・外因性・心因性
症状を引き起こす原因によるうつ病の分類


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